さよつぐSS 「夜の彼方」

悪夢を見る。

私はなにも見えない暗闇の中一人立っている。真っ黒に塗り潰された視界を前に、私は不安に駆られながら必死に出口を探す。背中を這い回る寒々しいほど確かでいやな予感。ここは…ここは怖い。早く出なければ。早く。ここには居たくない。

そう思って手を伸ばし、でたらめに闇の中を探ってみるが、虚しく空振っただけで指先には何の感触もなかった。焦燥は加速する。あまりの恐怖と絶望に涙が出そうになってくる。

 

その時、どこからともなく声が聞こえた。色々な人の声がいくつも重なって、紗夜、紗夜、紗夜、と繰り返している。くぐもった声は少しずつ近づいてきて、次第に明瞭になっていき、言葉として意味を成し始める。

 

日菜は練習しなくてもなんでもできるのに、紗夜はダメね。双子なのに、どうしてかしら。」

 

「ははは!紗夜、お前お姉ちゃんなんだから日菜に負けてちゃダメじゃないか!がんばれよ!」

 

『おねーちゃん、まだなわとびとべないの?あたしがおしえてあげる!』

 

「氷川さん家の双子ちゃん、妹がすっごく優秀なんですって。日菜ちゃんって言ったかしら? ええ、でもお姉ちゃんは平凡な子で、少し可哀想よね…」

 

『おねーちゃん、何してるの? え、こんなの簡単だよ!ちょっと貸して…ほら!』

 

「氷川の姉の方もよく出来る子ですがね、まあ隣のクラスの妹には劣りますね。これが生まれ持った素質の差なのかなぁ。」

 

「氷川さん、あなただって充分すぎるほど努力しているのだからいいのよ。そんなに無理をしないで。自信を持ってね。たとえ日菜ちゃんに追いつけなくても、」

 

『ん〜、あたし努力しなくてもできちゃうからなぁ…』

 

「え〜、また氷川姉妹ツートップじゃん!やば〜! でもお姉ちゃんの方日菜ちゃんに勝てたことなくない?そうそう!いっつも日菜ちゃんが1位だよね〜。てかあの人いっつも教室で黙って勉強しててキモくない?才能無いくせに頑張っちゃってんのマジ痛いんだけど〜!ガリ勉無能じゃん!あはははは!」

 

『え、おねーちゃん違う高校に行くの…?』

 

 「あなたが入ってから、私たちまだ高校生なのに、みんな練習と課題で寝る時間もないのよ…!…ねえ紗夜、あなたの理想は分かる。でもあなたには、バンドの技術以外に大切なものは無いの?!

 

…最低…もういい!こんなバンド、解散よ!」

 

『おねーちゃん!あたし、ギター始めたんだ!』

 

 

 

…嫌。

 

 

 

『だってあたしおねーちゃんみたいになりたい『おねーちゃんみたいになり『おねーちゃんみたいになりた『おねーちゃんみたいに『おねーちゃんみたいに『みたいになりた『おねーちゃんみたいに『おねーちゃんみみみ『だっておねー

 

 

…やめて。

 

 

 

 

『おねーちゃんみたいに無価値な存在にはなりたくな

 

 

「…!!やめてッ!!!!!!!!」

 

 

 

…耳をつんざくような自分の叫び声で目が覚める。

 

「…はぁッ……ぅ………ッは……」

 

息が苦しい。乱れた呼吸のあいだに時折、唇の間を空気が抜けていく、ヒュッ、という音が嗚咽のように混じる。心臓が異常な速さで強くどくどくと脈打っている。全身が強ばって、冷たい汗が無尽蔵に伝って肌の上をゆっくりと流れていくのを感じる。

 

さっきの恐ろしい風景が夢だったことを、呼吸を整えながら、覚束無く理解する。

 

ひどく汗をかいたようで、冷たくなった自分の汗が服に滲みて肌にべったりとまとわりついてしまっている。寒い。取り敢えず電気をつけて時計を確認すると、午前3時だった。中途半端な時間に目覚めてしまったことを少し後悔する。こうして夢に起こされてしまった時、もう一度床に就いても眠れることはないということを私は経験則で知っていた。仕方が無いので自分の部屋の真ん中に置かれている青い座椅子に腰掛ける。夢の記憶はあまりにも鮮明に脳裏に焼き付いていた。いつもこうだ。いつも私の自己嫌悪は日菜の形をしている。最低だ。私自身の欠陥を日菜のせいにするなんて。自分の卑怯さが情けない。日菜はこんな私のことを姉として慕ってくれているのに、私は未だにあんな夢を見る。本当は日菜ときちんと向き合って話したいのに、無意識下でまだ日菜の影に怯えている。日菜の天才性にかまけて自分の出来ないことを誤魔化し、言い訳にして、何も悪くない日菜を突き放して、同時に日菜に怯えている身勝手な自分が嫌いでならなかった。自分の膝に顔を預けてうずくまり、ほんの少しだけ泣いた。こんな時、誰かに優しく慰められてみたいという気持ちもあるにはあるが、身を預けられるような人が周りにいないのが寂しい。私の所属バンドであるRoseliaの皆とはかなり打ち解けてきている実感があるが、こういう自分の弱いところや汚い感情をさらけ出せるとは思えない。Roseliaの四人に心を許していない訳ではなく、私のプライドがそれを許さないからだ。

……いつか誰かに、私の弱さを見せることが出来る日が来るのだろうか。卑怯で意地汚い、私の嫌いな私。眠れない夜のこと。怖い夢のこと。私という人間が、本当はからっぽだということ。なにもかも全部、きっと受け入れてもらえると期待して、今までずっと殺してきた私の感情を吐露できるような誰か。 そして私も、あなたのことをもっと知りたい、あなたの悲しみも全て知りたい、と思えるような人…

 

…あぁ、また同じことを考えてる!

 

 

答えなんてもうとっくの昔に出ているのに…何度考えても脳裏に浮かぶ笑顔は同じ人のものだった。

 

 

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「そ、そんな…!私は何も!紗夜さんが頑張ったからですよ!」

 

「私も、いま紗夜さんが言っていたみたいに、力を抜くのがすごく苦手なんです。いつもそれで、皆にからかわれてますから…」

 

「ほ、本当ですか?はぁ、よかったぁ~。それじゃ、私が思ってたこととおんなじことを、紗夜さんも思っていたってことですよね?」

 

「なんか、それって……とっても嬉しい……?というか、恥ずかしい……というか……?」

 

 

「はい、喜んで!私も紗夜さんのこともっと知りたいです!」

 

 

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つぐみ、さん。

 

この思いは何なのだろう。

 

あのふにゃりと柔らかく綻ぶ優しい笑顔。

優しい温もりがあるのにいつもどこか張り詰めているような、あなたの言葉。

私の欠点を否定することなく受け入れてくれるところ。他人の長所を見つけるのは上手なのに、自分のことは認めてあげられない、少し不器用なところ。いつも真面目で、一生懸命なところ。目まぐるしくころころと変わる表情。クッキーの甘い匂い。きれいな珈琲色の瞳。さらさらと揺れる短い髪。

 

 

あなたが。

 

 

……明日会えたら、あなたに 今日の夢の話をしよう。

 

 

きっとあなたは笑わないで聞いてくれる。

 

つぐみさんのことを思い出すと、心臓の奥が火が灯ったように暖かくなった。

 

不思議なぬくもりが私を安心させる。

息ができる、と思う。

 

私の夜は、終わろうとしているのかもしれない。